誰にも邪魔されない空間がほしかったが、Gに邪魔される。

 

 

和歌山県で生まれた僕は遊ぶ場所には困らなかった。

実家から2つ家を挟んですぐに公園があった。

その公園にはベンチと鉄棒とブランコと大きな木があった。

兄貴や近所の友達とよく木に登って遊んだ。ブランコでも遊んだ。

鉄棒は父親から「教えちゃる」と言われたときだけ練習した。その時以外は、鬼ごっこのときの障害物としてしか使用しなかった。

その公園も、僕が中学に上がる前には木が切られ、ブランコも撤去された。

いま残っているのは鉄棒とベンチだけ。

 

 

実家のまえの道路を東に行くと突き当りに公立体育館があった。

体育館の北側には大きな駐車場があった。

田舎によくありがちな、バカでかい駐車場。

僕はそこでインラインスケートスケートボードをした。親父が購入した小さな赤いポールを立てて、スルスルとすり抜ける練習をした。たまに中学生や高校生のヤンキー風な男子たちがいて、彼らと一緒にスケボーやインラインをした。

厚紙で作った紙飛行機をゴム発射機を使って飛ばしたりもした。

駐車場から西側には、S先生という保育園時代の先生の家があった。S先生の家の屋根に太陽が沈んだら家に帰った。

 

 

インドアの遊びにハマることもあった。飛ばさないほど大量の紙飛行機を作った。飛行機の格納庫を作りたかっただけ。

自宅のWindowsXPパソコンでInternet Explorerを毎日立ち上げた。パソコンはWindows98時代からあった。よく3Dピンボール「Space Cadet」や特打小学生で遊んだ。パソコンの使用は一日15分が決まりだった。キッチンタイマーがパソコンデスクの柱にあった。昔のパソコンはよくフリーズした。フリーズしたらタイマーを止めた。あの頃のIEの初期画面ははYahoo!JAPAN一択だった。

金がなかったのでペーパークラフトをよく作った。YAMAHAのホームページには精密なバイクのペーパークラフトがあった。作り方の動画もあった。一番かっこいいと思った黄色のバイクを作った。個人ブログではSDガンダムペーパークラフトもあった。ペパクラビューワーというソフトをダウンロードしてプリントして色々作った。作ったものをデジカメで撮影してブログのメールアドレスに送った。背景をかっこよくするために遊戯王のフィールドの裏面を使用した。「ねこくらふと」というブログでは僕が作ったものが掲載された。

 

 

 

プラモデルにとても興味があった。初めてプラモデルを作ったのがたしか小学3年生のとき。アメリカの緑色のバンを作った。車の名前やブランドは覚えていない。クリスマスプレゼントでもらったもの。兄貴はポルシェを作っていた。

色は自分で塗った。タミヤの接着剤の臭いがとても好きだった。色はきれいに塗ろうと思ったのだが筆ムラがたくさんできてしまった。兄貴が「重ね塗りしたらええで」と教えてくれたので重ね塗りをしたらもっとひどい筆ムラになってしまった。兄貴のポルシェはきれいな赤いポルシェに仕上がっていた。僕は自分の汚い緑のバンをみて、泣いたような、泣かなかったような。

 

 

プラモデルには相当ハマった。いついかなるときでもプラモデルが作りたかった。小学校での授業中もプラモデルを作っているときのことを想像した。

岩出の王将からもう少し東に行ったところに「カインズ」という中古ショップがあり、そこには箱が古くなったり状態のあまりよくないガンプラが並んでいた。その後畑毛交差点の交番の前に移転したが、その後は潰れたのか移転したのかはわからない。毎週末自転車でカインズに行った。そこには服や時計やネックレス、DVDプレーヤーやテレビ、フィギュアも大量にあった。

夏休みには毎日のようにいった。カインズでは毎日「ジュラシックパーク」がDVDプレーヤーで再生されていた。そこにいると、気づいたときにはジュラシックパークが終わっていた。

古いためガンプラの値段は安くはなっていたが、手持ちの金で購入できるほどの値段ではなかった。

一度、お年玉で1200円のMGグフを購入した。電気ムチの難易度がとても高そうで心が揺さぶられた。せっかくだから難しそうなプラモを作りたい。

MGは1/100なので結構箱が大きい。自転車にかごは着いてなかったのでリュックサックにでかい箱を詰め込んで持って帰った。すぐに2階の部屋に持っていった。なにかを買うとすぐにバレるのはなぜなんだろう。父親には「作ったら終わりやんか」と言われた。夕食後には家族みんながテレビを見ている。僕はとにかくグフを作りたいから夕食を食べ終わったらすぐ、2階へ上がってニッパーとカッターでプラモを作る。机は父親がどこかの仕事場からもらってきたステンレス製の引き出しつきの灰色の事務机。勉強用の蛍光灯をつける。1階からは笑い声が聞こえる。ムチの素材を一つなくし、「そんなもんや」と父親と母親に笑いながら言われた。

 

 

 

都会に行きたいと言う気持ちはなかった。大阪や東京に住みたいと思ったことはない。憧れはドラえもん。押入れの中で眠りたかった。一人で誰にも邪魔されない空間がほしかった。実際に押入れで眠ったことがあった。押入れの中にCDプレーヤーを持ち込んで、ベートーヴェンの「田園 第1楽章」を聞きながら眠った。ドラえもんっぽく、押入れの二段目で寝た。ギシギシと底が抜けそうな音がした。夜、天井からカサカサという音が聞こえた。確実にGがいた。それが嫌ですぐに押し入れで寝るのはやめた。現実はうまく行かないものだ。後日、バルサンを炊いた母親が、「やっぱりなぁ、あんた寝てた押入れにゴキブリおったわ」と言われた。

 

 

僕は思う。住みたかった街、住みたい街、それは今も叶わない、ゴキブリのいない街。そんな街、あるかなあ?

 

 

まぢでゴキブリ嫌い。

 

 

 

 

 

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by リクルート住まいカンパニー